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母の日・Mothers’ Dayと香淳皇后と大日本聯合婦人会

 

現在の母の日・Mothers’ Dayとは違い、日本で母の日がスタートした時は、日本では、1931年・昭和6年、当時の皇后(香淳皇后)の誕生日でした。

母の日、香淳皇后とは、日本のお母さんのシンボル像だったのかもしれないですよね。

昭和天皇のありかた

1946年(昭和21年)1月1日に日本国政府の官報によって、昭和天皇のあり方が変わり、「人間宣言」が発せられることになります。
ここで天皇は、現人神ではなくなったのです。

現人神とは、この世に人となって現れた神様のことです。日本書紀の景行紀にもそれがあり、万葉集にも天皇を現つ神として歌い奉るモノは数多く存在しています。

日本は、第二次世界大戦に負けてしまい、天皇陛下は、人間宣言をし、 神格性は存在しないとされる見方が現在多くを占めています。

大日本帝国憲法における大権を保持し「大元帥」とされた天皇から、 日本国憲法に定められた象徴天皇としての意思を示し、 晩年を迎えることになります。

しかしかつての昭和天皇は、神様でもあり、特別なもの(=神様)として、外科的な治療をすることが禁忌されていた事実があります。

では、神様に寄り添う、香淳皇后とはどのような存在だったのでしょうか。

母としての 香淳皇后

母の日は、 香淳皇后の誕生日だったのです。神様として存在していた昭和天皇の横に、 香淳皇后は、どのようなあり方として存在していたのでしょうか。

平成の皇后陛下は、天皇の国の象徴という意義を共有されていたという言われ方をすることがありますが、果たして、香淳皇后が天皇陛下と共有されているものが存在していのかは疑問です。それは、天皇陛下が神様ゆえ、血が混じり合うことも警戒していた点も見て取ることが出来ます。

母のシンボルとしての位置付け

香淳皇后が、どのような立場でいらしたのか、それは、1931年には大日本聯合婦人会の結成がきっかけで、皇后(香淳皇后)誕生日が母の日になったということからも推測出来るのではないでしょうか。

昭和天皇が神様だとしても、香淳皇后は神様とはなることが出来ず人間でした。しかし、香淳皇后が普通の人間であったのか……それはわからないです。

香淳皇后の存在意味を明確にすれるために、ここに偉大なる母のシンボルとしての位置付けをしたのかもしれません。

母という存在は大地であり、ひょっとしたら神様の次に偉い存在だったのかもしれません。神様のなかなか目が行き届かない部分のことを母がこなしてくれていたのかもしれません。神様と母は良きパートナーなのです。

その存在が、香淳皇后です。大日本聯合婦人会とが母体となり、学校教育への理解や家庭教育の振興などを掲げて全国組織に発展していくことになり、母として、しっかり国をサポートして来たともいうことが出来ます。

母の日・Mothers’ Day、そこに私達はもう少し掘り下げた目を持つ必要があるのではないでしょうか。母なる大地、お母さんはいつの時代でも偉大な存在です。